瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その4 高松空港・屋島~

 

5.高松空港と屋島

 

(1)花曇りか中国の黄砂かは分からないが、空に音はすれども機影は見えない。この日、高松空港の駐車場は盛況で、空き場所を探すに苦労した。年度末であり、観光客だけが空港を利用しているのではないことを再認識させられた。

国際線搭乗口に作品147(ウエルカム/2作)がある。2階までの吹き抜けに金色の四角柱(正確には4面それぞれに金色を吊るしている)を造形している。ただ、階段と横柱が迫っており、窮屈な印象だ。展示場所の選定や空間の活用などの制約を脱し切れていない。作品自体は、現代アートにありがちな、「これは何だろう」の類だ。

空港管理会社に勤務する友人の説明では、海外から香川県への来客を歓迎している作品だという。同時に、作品の周囲に立入禁止のロープが張られており、作者はこれを嫌がっていると付け加えた。間違っても、「禁止ロープ」は作品の一部ではないと主張しているそうだ。ごもっともである。

もう1作は、2階南面ガラスに特殊フィルムを2枚貼り付けて、見る方向と光線の具合により色彩変化する工夫がなされたものだ。金色四角柱が上下方向にたいして、フィルムガラスは水平方向に設えているアイデアになっているそうだ。

(2)高松空港の2作品を鑑賞したあと、「そうだ屋島 いこう!」と瀬戸内海方面に足を延ばす。

屋島には1点だけ作品があるはずだ。かつてのケーブルカー乗り場に車を置く。ちょうど年輩夫婦がウオーキングで作品を見に行くというので、これ道づれと後に従った。適当な登山ルートが見つからず、ついに「ケーブルカー保線路」を登ることとなった。

かなりの急こう配ながらも、年輩夫婦は1歩1歩と無理のないステップだ。途中3回ほど休んで、屋島の下界を見下ろす。ケーブルカーが交差するところが中間点である。線路は錆びついていて痛々しい。幸い足元の雑草は青い芽を出したところだ。桜の木も見当たらない。やがてトンネルが見える。その先には山上駅があるので、勢いを新たにしてステップを強くする。

年輩夫婦の情報によると、地元では屋島名物のケーブルカーを復活させようとの話があるそうだ。ケーブルカーの窓から顔を出している「ゆるきゃらタヌキ」を考案すれば復活話の起爆剤になるかもしれない。

(3)屋島山上駅は放置の状態である。作品146(美しく捨てられて)は、駅舎の入り口に大きな鏡とフェイク(=模造品、にせもの)の影を造形して、駅に新たな光をもたらすとの説明である。作者はトリックアートを得意としており、名実ともに山上(廃止)駅にピッタリの作品だ。

屋島山上駅
屋島山上駅

案内ボランティアの説明があった。作品制作では、屋島が国立公園内にあって、大きな形状変更は認められないこと、山上駅の内部にトリックアートを設えることは、施設が老朽化しており、危険性があることの指摘を受けたそうだ。そこで考えに考え抜いて、駅舎には触れずに、屋島にあたる太陽の光を受けた「影」を足もとに再現している。見事な発想で、屋島山上駅への希望を表現したものになった。思想性に満ちた深い作品だ。芸術祭が終われば、当然に撤去されるのが残念である。

(つづく)

田村彰紀/月報348号(2013年7月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その3 宇野~

 

4.岡山・宇野港

 

(1) 今日も青空が広がっている。10:00高松発の四国フェリーで宇野港まで1時間。船客は20人余で、芸術祭客らしきは2~3人だ。それでも小豆島、女木島、男木島方面へのフェリー乗り場には行列が見られた。若い人たちがガイドブックを手にしているので芸術祭客だと分かる。

宇野港の芸術祭案内場は、プレハブ式だが幟や看板でけっこう賑わっているかに見える。いつものように、作品案内と宇野港の地図をいただく。記念にフラッグ型ハンカチを買い求めた。

JR宇野駅前に「海の贈り物」オブジェが天空を突いている。海の生き物が天をめざして駆け上がっているところが面白い。案内図を片手に、突堤の先端に向かって歩く。作品152「宇野のチヌ」と作品153「舟底の記憶」が異様な雰囲気で迎えてくれる。どちらも日常の廃材、漂流物を素材にして、宇野の魚とスクリューを組み合わせている。「遠くから鑑賞すべき作品ですね」とお年寄り集団がつぶやいていた。

宇野は臨海港湾産業都市であるとともに、「連絡船の町」であった。人口の激減は、昭和49年のオイルショックからはじまって、今にその余韻を引きずっている。人口ピークは昭和50年の7万8千人で、現在は6万4千人である。その間に、瀬戸大橋や明石大橋の開通により、「連絡船の町」は交通環境の変化が直撃しているかのようだ。

港湾産業(造船など)や連絡船の廃止などで、広大な岸壁や突堤が広大な空間として残されているのが現状である。

その広大なスペースの有効利用計画も策定されているようだが、遅々として進んでいないようだ。突堤には「愛の女神像」「碇のオブジェ」、かつての商店街には芸術写真やシャッター壁画ペイントがある。「連絡船の町」の将来テーマは、<音と写真の町>に生まれ変わろうという方針らしい。なぜ音と写真の町なのかが分からない。

(2) 宇野の街中を歩く。宇野・築港周辺マップを片手に、もう一方でデジカメを構える。おおげさに散策ルートを考慮しないでも、およそ1時間ほどで一回りの見学はできる。JR宇野駅舎にターミナルの風情、かつての造船工場の残されている「おばけ煙突」、商店街はシャッターと間口の狭い飲み屋、旅の宿の看板が淋しい。空き店舗や空きスペースを利用して、アート工房や若いアーチストが巨大な造形作品に挑戦している。また、散策していると、かつての連絡船係留岸壁遺構やちょっとしたメモリアルパークが整備されているのが連絡船の町を思い起こさせる。

宇野駅北側から宇野港を望む
宇野駅、宇野港を望む

■3 月26 日メモ■

  1. 臨海港湾産業の衰退のど真ん中で、文化芸術による「町おこし」が可能か。
  2. 「音と写真の町」をめざしているようだが、地域人の関心度合いはいかがであろうか。
  3. 人口6万の町では、地域外からのアーティストの活躍に期待せざるを得ないか。

(3) ここで文化経済学的な考察

芸術作品を分類してみる。絵画、彫刻などの個別分類では複雑怪奇となる。そこで、文化経済学的に文化芸術を商品に見立てて、<生産~流通~消費>過程のうち<消費>に注目してみる。

すなわち、芸術作品は①ただちに消費されてしまう場合(作品の消失)と②消失されずに物質として維持されるもの、に区分されるとする。例えば、①の芸術作品としては、料理、演劇、芝居、音楽などがある。これらは味わったり、鑑賞してしまえばたちまち消失する。例え映像化されても、食味、その場の感動、共感などは再現されない。つまり「ほんもの」ではなくなる。②は、絵画、彫刻、オブジェ、建築などである。これらは美術館などに展示され続けていると、正の外部性として威光を放つ。歴史的変遷を経ると<ヘリテイジ>なものとなる。劣化や滅失は考慮外とする。

一方で、芸術作品の生産過程をみる。①、②ともに人間の働きかけがあってはじめて作品となることに共通性が認められる。流通過程では、①は非流通性となり、②は流通性が可能である。芸術作品を消費段階で捉えたときにはじめて、文化的価値に性向(性質の傾向)区別ができ、①では限定的な消費者(享受者)となり、②では不特定多数の時間制限のない享受を得られるであろう。

これらを瀬戸芸祭の特徴である現代アートに適用してみると、現代アート作品、アートイベントなどのインスタレーションは、「期間が終われば撤去」されるとされており、どちらかというと①分類で属すと考えられるだろう。限定された消費者(享受者)の一時的な感動と共感を現代アート作品は与えるのみである。

(つづく)

田村彰紀/月報348号(2013年7月号)

 

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その2 沙弥島~

 

3.沙弥島

 

朝から快晴。桜満開のニュース。四国・香川はおむすび山にポッポッと白い山桜。東山美術館の駐車場に誘導される(無料)。案内ブースでリーフレットをもらい、作品場所を確かめる。

エリアが狭いため親切な案内板が設置しやすい。鑑賞者の動線がスムースにつくられている。若い親子連れ、シニア夫婦などに紛れて若者も見える。

沙弥島は「J1 エリア」のみで、春期間だけ(3 月20 日~4 月21 日)なので小豆島よりは鑑賞者が多いわけだ。作品100(階層・地層・層)は讃岐の山にふさわしい形だが、表面の芝生はこれから生育するという。時間の経過とともに変化する作品として工夫がある。

作品101(沙弥島・西ノ浜の家)、作品103(そらあみ)と歩いたところで、店が賑わっている。島スープを500 円で注文する。すでに何とか沙弥島弁当は売り切れである。あとで気付いたが、島スープは作品164 のようだ。

旧沙弥小中学校校舎を活用して、教室に作品102(名も知らぬ遠き島より等)がある。作品のうち、映像作品が教室の黒板を利用して流れている。これはこの場所がもっともふさわしいものだとは思えない。

沙弥のなぎさに出てみると、作品104(八人九脚)が瀬戸大橋と瀬戸内海を眺めている。当然、その椅子でくつろぐ鑑賞者たち。海辺の風景をなしている。

■3 月22 日メモ■

  1. 作品鑑賞の途中に、地域の歴史を発見する。これぞ地域の文化資源だと思う。
  2. かってな推測だが、現代アートに関心を示す御仁はその地域の歴史や伝統、民俗文化などにも興味をもっているだろう。しからば、瀬戸芸祭を動機に、地域の文化資源を前面に押し出すべきであろう。瀬戸芸祭ガイドブックには少し触れているが…。
  3. 芸術家、芸術系大学生に作品制作の場所と機会を瀬戸芸祭は与えている。
  4. 出展芸術家はどのように選定しているのだろうか。北川フラム、福武財団が築いてきたネットワークか。

(つづく)

田村彰紀/月報347号(2013年6月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その1 小豆島~

瀬戸内国際芸術祭2013・春会期が、3月20日から4月21日まで開催されました。

3年前の第1回瀬戸芸祭には、93万人が真夏の現代アートを楽しみましたが、たいへんな混雑だったようで、第2回瀬戸芸祭は春・夏・秋に分散しての開催となりました。

今回、春会期の瀬戸芸祭を覗いてきましたので、地域政策および文化政策の観点から「瀬戸芸祭日記」を開陳しておきましょう。 日記風ですので、お楽しみください。

 

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