瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その14~

(1)会期外であったので、男木島への来島者はわずか10人余でした(2013年9月)。京都・嵐山の桂川が氾濫し、渡月橋が沈下橋のような映像がテレビで流れていたときです。一方、台風一過の香川県は雲ひとつない秋空でした。穏やかな瀬戸内海をフェリー「めおん」が海を滑っていきます。途中、女木島に寄港して、さらに乗客が少なくなりました。

(2)男木島は、石積みと急坂迷路の島です。人口は179人(9月1日現在)、面積1.37平方km、インターネットでは「高松市の北7.5km、女木島の北1kmに浮かぶ島。平坦地が少なく、南西部の斜面に階段状に集落がつくられている。過疎化と高齢化が進行しており、空き家の増加が目立つが、昭和32年の映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台にもなった美しい島。源平合戦で那須与一が射た扇が流れ着いたことから「おぎ(おおぎ)」という島名がつけられたともいう」と紹介されています。

(3)散策していると、地元の女性が噴霧器で水路を消毒しているのを見かけました。聞いてみると、「タネを消毒している」という。「タネ」とは、「谷」のことで、生活通路の排水溝のことのようです。田んぼがあれば、農道に沿う「用水路」でしょうが、男木島には水田がありません。「本土のほうでは井出(いで)と呼んでいるのを聞いたことがあります」とのことでした。男木島はコミ山(標高213m)ひとつにはり付いて集落が形成されているので、小さな排水溝でもいわゆる「谷すじ」なのでしょう。

(4)最初に目にしたのは、男木港のそばにある作品042「男木島の魂」です。屋根に日本語やアラビア語、中国語などのさまざまな言語文字を組み合わせた建築物で、屋根の文字が地面や水面に投影されると、時間が過ぎるにつれて変化しています。なかなか工夫された飽きない現代アートのひとつでしょう。
大井海水浴場近くの突堤に、作品054「歩く方舟」が不思議な景色を創っていました。旧約聖書のノアの方舟にヒントを得たとされていますが、古代の洪水から逃れる様子を造形したといいます。クラゲの笠に足が造形されて、屋島や五剣山の方向へ歩いているものです。何とも不思議な景色でした。

(5)映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ地である男木島灯台まで30分歩きました。この灯台は、歴史的文化財的価値が高いAランク(灯塔は総御影石造り)の保存灯台で、日本の灯台50選にも選ばれているそうです。1895(明治28)年12月10日に石油灯で初点灯、1933(昭和8)年にガス灯化され、1961(昭和36)年には電化されました。1987(昭和62)年4月には無人化となりました。塔頂までの高さは12.4mで、海上保安庁第六管区海上保安本部の高松海上保安部が管轄しています。
芸術作品とか現代アートではないのですが、歴史的建造物・文化財としての価値ある男木島灯台になによりも感動を覚えました。

(6)会期外とあって、作品044「時の廊下」、作品052「漆の家」、作品051「記憶のボトル」、作品046「オンバ・ファクトリー」などは見ることができませんでした。男木島の作品で秀でていたのは、山頂に向かって重なり合う民家の甍と石積み、そして男木島灯台の雄姿であったと思います。

 

(つづく)

田村彰紀/月報355号(2014年2月号)

 

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その13~

瀬戸芸祭は盛況のうちに終了しました。新聞報道では、「11月まで開かれた瀬戸内国際芸術祭について、県などでつくる実行委員会と日本政策投資銀行は9日、経済波及効果は132億円だったとの試算結果を発表した。来場者の平均滞在日数や平均宿泊数は、2010年の前回より微増した。来場者数は、公表されている約107万人から重複分を調整して30万人とした」との分析でした。経済波及効果が132億円という数字が、いかほどの意味を持つのかは別にして、「瀬戸内の海と島々」の良さを再認識する機会であったことは間違いないでしょう。

では、前号に続いて瀬戸芸祭を歩いたので「試論」を記しておきます。

(1)観音寺・伊吹島

観音寺港から市営渡船で25分のところに浮かぶ「いりこ漁」で有名な島である。人口は650人余と減少傾向は続いている。

瀬戸芸祭の駐車場である有明浜無料駐車場を利用する。ここから観音寺港まで無料シャトルバスを利用したが、平日なのにバス停には列ができているのには驚いた。伊吹島内の道路事情は、道幅2メートルほどの急こう配の坂道で、たびたび地元のバイクと軽自動車が慣れた運転で通っていく。心臓破りの坂と書き込まれたルートを、汗拭き拭き登っていくと旧伊吹小学校だ。このあたりの標高は50メートルはあるだろう。多くの民家は小学校や伊吹八幡神社あたりに集中している。迷路のような路地を歩く。案内マップもほとんど役に立たないほどの迷路である。

(2)作品鑑賞と批評

旧伊吹小学校を会場に、3つの作品がある。作品135(沈まぬ船)は、漁具や生活用品を素材に、魚の群れや海の中をイメージした作品だ。いくもの教室を貫くように大掛かりな作品となっている。とくに、漁具の象徴である「浮き」を、およそ5万個を繋ぎ合わせているのは圧巻である。ワークショップならではの作品となっている。インスタレーションの典型の作品といえる。会期が終われば撤去されるだろう。

もうひとつの作品135(大岩オスカール)は、小学校の体育館をいっぱいに使ったドームの作品だ。閉ざされた入口を開けていただき中に入ると、マーカーだけで瀬戸内の風景を丹念に描いた360度パノラマに包まれたようだ。鑑賞者のひとりが「まるで海底から瀬戸内を見ているようだ」と感想を漏らしていた。これも大型作品だが、根気のいる仕事をご苦労様という感想である。

作品136(トイレの家)は、小学校グランドに作られている。解説チラシによると、男性用トイレ、女性用トイレ+多目的トイレ、倉庫の3つの棟から成り、ひとつの家型を描くことによって存在の力が持ち始めるという。夏至、冬至などの固有の時間には光のスリットがトイレの家を通り抜け、季節を知らせる構造に設計されている。各トイレをつなぐのは島の迷路を思わせる路地風である。制作者は、そもそもトイレは母屋から離れた周辺に位置づけられていたのを、各トイレが集合することによって核となっていることを理念として主張しているらしい。よく考え抜かれた設計になっているが、現代アートの範疇に属するかは疑問であろう。

(3)伊吹島民俗資料館

「無料ですよ、どうぞ見てください」の声に誘われる。昔の漁具や民具、文書類が保存展示されている。島民が長い年月をかけ収集した貴重な資料である。伊吹島の歴史年表、人口の推移、島の偉人の説明など島で暮らし人たちの共同性を垣間見た思いである。

伊吹島はかつて1000人以上の人口を擁していた。現在は650人余と減少しているが、面積が1キロ平方メートル程度であるので人口密度はきわめて高い。島の産業は伊吹イリコである。伊吹漁業協同組合の構成は、組合員数が400人(平成23年1月現在)というから島民まるごとの組合であろう。

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いりこの生産の推移は上表の通りで、昭和60年頃の最盛期からすれば半減している。人口減少~すなわち生産者の減少を加味すると資源の枯渇によるものではないようだ。また、組合の努力で、設備投資や販路開拓などが図られている。狭い島に意外なほどの居住数が保持出来ているのは、全国ブランドのいりこ生産性が高いからである。

(4)ふたたび作品批評

伊吹島民俗資料館から、芸術祭案内表示に従って路地を下る。作品138(夜想曲)は、住んでいないとみられる民家の部屋にある。東北の石巻の小学校にあったグランドピアノを、大屋根とか前屋根と呼ばれる「ふた」が3畳敷きの部屋に、弦を張った本体は6畳敷きの別の部屋に展示されている。東北大震災の津波を受けて、泥が堆積したままの状態である。

会期が終わるとこの作品はどうなるのでしょうか、と聞いてみた。「オランダに持ち帰ります」との返答であった。あとで調べてみると、制作者はオランダ在住で、美術家でありピアニストのようだ。海外で活躍する若き女性も~それも芸術分野で認められる日本人が予想外に多いことに感心する。

作品140(伊吹島レインボーハット)は、ユニークといえばユニークである。路地を上り、空が大きく広がったところに、樹木を利用してテントを支えるようにドームが造られている。テントをよく見ると、小枝を敷きつめ、布を張ったその上に土を載せている。足元を見ると、小さな水たまりがいくつも点在し、その中に鏡が沈められている。テントの間から差し込む光が、水たまりの鏡に反射すると、頭上のテントに虹が投影されるという。

あいにく曇天だったので虹は見られなかった。大掛かりな造形であるが、光の不思議を題材にしたテクニックな創造作品である。芸術の範囲はどこまで広がるのかと混乱させてくれる作品(?)だ。

作品141(伊吹しまづくりラボ)までの道は険しい。案内マップには<急坂注意!!>とある。標高50メートルくらいから、転げるように下ると海岸沿いの旧いりこ加工場が見えてくる。鉄骨スレート葺きの加工場の1階にはウレタンで作った伊吹島の模型がある。

伊吹漁協や旧伊吹小学校、公民館などの場所には小旗が立っていて、伊吹島の全体が俯瞰できる。情報を集めて、次々と島の歴史や現在を可視化するものであろう。2階にはカフェが用意されていて、瀬戸内海を眺めながら一休みできる。加工場が操業していた当時の作業員の小部屋は、〇〇研究室との表示がある。祭事や文化、いりこ歴史、建築など多方面から、島の未来を考える研究機関という位置づけのようだ。

建築物を芸術作品と評価する見解は、多分に的を射ている。建築芸術として、その土地でシンボルとなっていたりする。利用価値とともに、芸術的価値を認めない訳にはいかないだろう。ただ、旧いりこ加工場のラボ(実験室。研究室)は芸術的な取り組みではなく、作品141ではあるが、伊吹島の将来を研究する部署のようだ。その成果を楽しみにしたい。

(5)夏限定の開催である伊吹島

いわゆる「しまおこし」イベントである。すべての作品がインスタレーションであり、会期が終わればすべてが撤去される。芸術祭を通じて、伊吹島に新たな現代アートが根付くかどうかは、おそらく目的ではないだろう。このことは、瀬戸芸祭が瀬戸内の島々で開催されていることから、前提として共通する認識があるのではないだろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報354号(2014年1月号)

 

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その12 アートプロジェクトと地域の関係/野田邦彦氏~

瀬戸芸祭は107万人の来島者で大いに瀬戸の島々が賑わいました。およそ8か月間の春~夏~秋の瀬戸内の風景に堪能した方々もいたのではないでしょうか。現代アートを鑑賞するよりも、過疎化が急激に振興する島々の実情と瀬戸の多島美に「非日常性」を感じ取ったのではと思いますが…。

さて、今回は野田邦弘(鳥取大)さんの文化経済学会2013での概要を素材にしてみます。次の第3回瀬戸芸祭を見通すうえでも参考になると考えます。

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瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その11 かがわ・山なみ芸術祭~

(2)かがわ・山なみ芸術祭2013 綾川

高松空港の西、綾川町田万ダム周辺が現代アート作品の会場です。平日なので他の鑑賞者は見えません。案内ブースも常駐ではないらしく、展示場所は旧枌所小学校と田万ダム周回道に点在していました。

旧枌所小学校は、「かがわ・ものづくり学校 Presentation Transcript」となっています。その概要をネットから検索してみたところ、2005 年3 月に廃校となり、その有効活用を募集したところ、NPO 法人かがわ・ものづくり学校が香川県を拠点に芸術文化活動の促進と地域の創造的活性化を目的に、文化事業を展開することになったようです。

主たるメンバーは、画家、陶芸家、彫刻家、写真家、建築家、コンピューターエンジニアなどです。戦後、日本は地方に工場を作り、大量にモノを生産して大都市に流通させて経済発展を成し遂げてきました。こうした事実、地方での「ものづくり」を芸術家が果たしていこうというものです。

その旧枌所小学校の校舎内に現代アートが展示されていました。先日の塩江でもそうであったように、たまたま現代アートの制作と「展示」する場所が確保されたので作品をそこに並べたものという印象でした。

ただ、校舎3 階にあった縄文文様を基調にした絵画(染色技術)などは一見の価値があると評価したいと思いました。その他の作品は、「ものづくり学校」で学んでいる芸術学生たちの披露の場のようにも見えました。現代アートの神髄とでもいっていいのですが、芸術創造への独創性や創造力には並々ならぬものに感動を覚えたことも確かなことです。思いもつかないイマジネーションの源泉がどこにあるか、とことん作者に聞いてみたいと思ったほどです。

山なみ芸術祭・綾川エリアのテーマは、「心の在りか」です。田万ダム周回道にそって作品が展開されていました。次々と作品が現れますが、驚きと共感する作品には出会いませんでした。

現代アートとは何かを十分に咀嚼しないと評価を与えることに躊躇しなければならないのですが、いわゆる共感・感動するという第一印象は重要なことです。ただ、圧巻だった作品は、迫ってくる山の法面を活用した大掛かりな龍ペイントでした。力強さとともに、山頂から流れくる流水と昇り龍は特に印象的で、山なみ芸術そのものという印象を受けました。

(3)若干の考察です。

第1 に、大衆的芸術祭というジャンルがあるとすれば、地域住民とのワークショップを軸とする創造活動の披露としては素晴らしいことです。そこには専門的指導的な芸術者の存在は欠かせないでしょう。

第2 は、専門的リーダーの指導が加わっているとしても、たとえ未完成、未熟な作品だとしても、展示披露を重ねることにより、より高度な芸術に接近する可能性を評価しなければなりません。芸術文化の発展のためには、ここが重要なところです。

第3 に、なお未完成・未熟な作品に止まるとしても、創作活動への人間的衝動を積極的に評価したいと思います。芸術活動は、〇〇賞などを求めるとか、商品として市場流通に期待するとかは、卓越したプロフェッショナルの世界の話しでしょう。

最後に、瀬戸芸祭は、まさにプロ集団の芸術文化の披露の場です。大衆的芸術祭ではありません。ぜひとも、瀬戸芸祭を鑑賞する機会を作りましょう。現代アートは「分からない」のですが、何らかのインスピレーションがあるはずです。作品創造はできませんが、なぜ現代アートの世界に90 万人が訪れるのかを探究することが、地域政策として肝要なことになりつつあります。

(つづく)

田村彰紀/月報352号(2013年11月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その10 かがわ・山なみ芸術祭~

前号では「日記風瀬戸芸祭」ではなく、芸術文化と経済の関わりを少しばかり議論してきました。日本の経済発展をテーマにしたとき、芸術文化が俎上に乗るのは経済発展の飛躍といえます。そうした時代がすでに来ているという証左でもあります。

さて、今回は瀬戸芸祭に連動して香川の山間部では「山なみ芸術祭」が開催されていました。その様子を「日記風」に記しておこうと思います。山間部でも地域振興をめざして、芸術文化による地域政策が試みられています。

(1)かがわ・山なみ芸術祭「しおのえ@新たなる源泉」

梅雨入り宣言のなか快晴に恵まれた平日に、塩江・山なみ芸術祭の会場に向かいました。午後の遅い時間であったので、鑑賞者と思われる人に2~3人ばかりでした。まずは、塩江の岩部神社を参拝していると、境内に現代アートを発見しました。しかし、どう見ても現地の風景とミスマッチしているのではとの違和感はぬぐえません。神社の境内が適当に広いだけに、場所的適切さからだけのアート展示ではないかと思いました。

塩江温泉郷の温泉通りに設置されている総合案内所に向かいました。瀬戸芸祭パスポートを持参して提示している鑑賞者2人訪れていました。案内人が「ここは瀬戸芸祭とはちがいますよ」「ここにはスタンプはありません」と応対していました。そのやり取りを聞いていて、瀬戸芸祭への対抗意識が表れていると感じました。山なみ芸術祭のイラストマップを見ると、<過疎集落等自立再生緊急対策事業(温泉通り活性化)>とありました。

総務省は平成24年度補正で、この事業に補助金をつけているようです。その趣旨は、①過疎集落等を対象に、地域資源や地場産業を積極的に活用して地域経済の活性化を図るとともに、日用品の買物支援といった日常生活機能の確保などの課題に総合的に取り組む、②拠点施設整備等のハード事業や住民主体による持続可能な仕組みづくり等のソフト事業を一体的に実施する、③地域経済を支える中小企業・地元小規模事業者への受注を促し、地域経済を活性化する、とあります。

山なみ芸術祭は、瀬戸内の島々が開催地の瀬戸芸祭に対抗して、国の補助事業の過疎集落活性化企画に乗っかっての「芸術祭」でした。瀬戸芸祭の中間期日で会期外の6月1日(土)から6月23日(日)と短期間のはざ間の設定でした。

メイン会場の温泉通りには、現代アート作品と県内の伝統工芸作品のミックス展示で芸術文化が混在しているようで、何とも統一感がありませんでした。伝統工芸では、讃岐のり染め、手描き鯉のぼり、保多織、張子虎、欄間彫刻、竹一刀彫、志度桐下駄、高松張子、水引細工、一関張などです。ただ興味深かったのは、現代アートの作者が香川県出身者がほとんどだったことです。

塩江美術館は閉館していました。外庭には現代アートが展示されていましたが、これも場所的ミスマッチの感がぬぐえませんでした(現代アートへの共感は主観に拠るところが大きい)。つまり、作品に普遍性が感じられず、ついには撤去されることを前提にしたものであろうと思います。

(つづく)

田村彰紀/月報352号(2013年11月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その9 閑話休題~

これまでの4回の連載では、瀬戸芸祭・春期の現代アートを歩いてきました。3月20日から4月21日までの33日間の鑑賞者(来場者数)は、26万3千人で、3年前に比べて1.3倍を記録したそうです。

もっとも、沙弥島のように春期のみの開催だったことも増加の一因でしょう。沙弥島ではおよそ7万7千人の来場があり、同時期の直島6万3千人を上回っています。

2013瀬戸内国際芸術祭春会期来場者数
四国新聞2013年4月23日Webサイト記事から

今回は、閑話休題として小村智宏・おむらともひろ氏(三井物産戦略研究所経済調査室長、2011年7月)の経済と芸術に関する見解を素材にしたいと思います。情報を収集していると、便利なインターネットで検索発見したものです。熟考しながら読み解いていこうと思います。

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瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その8 女木島~

 

8.女木島

 

(1)天に雲ひとつなく快晴だ。急いで「瀬戸芸祭ガイドブック」を開き、女木島行の船便を調べる。高松港~女木島~男木島を航行するフェリーは、便数が少ない。平日だが人気の女木島なので、混雑具合を見計らう必要があるためだ。大混雑であれば、小豆島の草壁方面に切り替える算段にしていた。

切符販売の窓口に聞くと、積み残しが出ることはないとの情報であったので、予定通り女木島を散策とした。それでもフェリー客室は大勢の人で、座席の空きはない。

目立つのは中高年のグループで、リュックを背負い、なかにはストックを用意しているものもいる。あとは子ども連れの家族で、これは春休みのピクニックといったところだ。

女木島は高松港から見える位置にある。船内放送によると、「めおん2」の全長やら定員などの解説の後、「15分間の船旅をお楽しみください」とのこと。よくできたもので、英語でも説明をしている。見渡すと数人の外国人も乗船していた。

(2)女木島は通称<鬼が島>と呼ばれている。瀬戸芸祭インフォーメーション「鬼の館」で、作品設置場所と散策ルートの地図を求めたが、「もうないんです」の返事だ。コピーすれば難ないことだが、あまりにも丁寧な応対のため「それは残念です」と了解しておいた。

もうすぐ鬼の洞窟行きのバスが出ますよと急かされて、洞窟見学の流れになった。見るからに、耐用年数はすでに過ぎた乗り合いバスに飛び乗る。洞窟山頂までおよそ10分だ。バスの幅いっぱいの、くねくね道を遠足気分になる。途中で気がついたが、沿道は桜が満開で山頂まで楽しむことができた。桜のトンネルを使用期限が過ぎたバスがゆく。瀬戸内の小さな島ならではの郷愁を味わった。

女木島鬼の洞窟行きのバスの中から
バスで鬼の洞窟に向かう

(3)何十年ぶりかの鬼の洞窟である。かつての記憶は全くないが、入り口から内部の洞窟、出口にいたるまで、鬼の「人形」が鎮座しているのには驚いた。もし「人形」がなければ、鍾乳洞のような奇岩珍岩がある訳でもなく、ただの「ほら穴」が右左にいくつも確認できるだけだ。

大正3年、高松市鬼無町の橋本仙太郎により発見されたそうだが、詳細な説明はどこにもない。ご承知の<桃太郎伝説>だけが鬼が島のよりどころだ。

作品040(カタツムリの軌跡)が洞窟のなかにあった。円筒形のスクリーンにアート映像が浮かんで動画となっているが、洞窟や鬼との関連性が感じられない。映像なので屋外ではだめなのであろう。見学している人が、「何が何だかわからない」と話し合っていた。

(4)女木港周辺に折り返して、港の突堤に作品031(カモメの駐車場)があった。これは島の港の風景と一体化しており、大いに評価したい。風の向きによってカモメが動いて、風見鶏となっている。漁をする人たちにも、風向と風力の確認ができるという利用価値があろう。

この現代アートは実にわかりやすく、老若男女を問わず、誰にでも親しめる要素を持っていると思う。まさにその場所における作品であり、他の場所では似合わない。

作品037(不在の存在)は、ベネッセ管理である。パスポートがなければ300円が必要。空き家を改装して中庭に、誰もいないのに足音と庭の土が動くという凝った仕掛けのアートだ。レストランにもなっている。これは女木の島でなくても場所を問わない作品である。

■4 月5 日(金)メモ■

  1. 女木島では平地が少なく、生活そのものがたいへんなところだ。石の壁を築き、段々畑をつくっている。廃屋があちこちにみられる。瀬戸芸祭が真に地域振興になればと思う。
  2. 年輩の地元人が、畑仕事をしたり、おしゃべりしている。来訪者には無関心なようだ。前回の芸術祭での喧騒に懲りているのかも知れない。再びの芸術祭の感想を聞いてみたいものだ。

(つづく)

田村彰紀/月報350号(2013年9月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その7 番外/岡山・瀬戸内市立美術館~

この試論も4回目(編注:元稿)を数える。瀬戸内の島々のうち、小豆島(土庄)、沙弥島(坂出)、宇野港(岡山)、高松空港・屋島、直島の芸術祭を巡ってきた。

今回は閑話休題も盛り込むことにした。現代アートのジャンルとして、今まさに主流となりつつあるインスタレーションの世界である。現代アート(芸術)は、従来の伝統的古典的芸術(絵画、彫刻、陶芸など)に対して反旗を翻しているようだが、一方で「混沌とする現代芸術」という表現も散見される。

瀬戸芸祭を機会に、現代アートの評価と地域に及ぼす環境変化に注目して試論としてみたい。

7.番外/岡山・瀬戸内市立美術館

 

(1)3月29日(金)に日本テレビの<未来シアター>で「塩の芸術家・山本基」を見た。

山本基は、『生まれ消えゆく一瞬のアート』をコンセプトにして、塩だけで繊細なアートをつくり上げる。世界ではただひとりのアーチストのようだ。岡山の瀬戸内市立美術館で、「山本基展 たゆたう庭ー塩のインスタレーションー」が開催されているとの情報を得たので車を走らせた。久しぶりの瀬戸大橋を走ったが、あいにくの雨で瀬戸内の景色は何も見えない。

瀬戸内市は、「2004年11月1日に牛窓町、邑久町、長船町が合併してできた、豊かな自然と歴史を活かした交流と創造の都市です」とホームページにある。

瀬戸大橋を渡って、早島ICから国道2号線に入り、岡山ブルーラインを走っていく。かなりの距離を走り、旧・牛窓町役場の3・4階が瀬戸内市立美術館だ(平成22年10月開館)。南には瀬戸内海が一望できる。

(2)「山本基展 たゆたう庭ー塩のインスタレーションー」の第一印象は、何がきっかけで塩アートを生みだしたのかである。説明によると、展示が終われば「塩」作品をつぶして、その塩材料を海に還してやるプロジェクトまでが彼の作品だそうだ。

ここでの作品は、塩60㎏を使用したという。制作期間は8日間、100時間をかけている。山本ひとりの孤独な作業らしい。接着剤も使わないため、作品完成すると若干の水分を吹きかけて作品を安定させるそうだ。作品自体はその現場で写真にしていなかったので紹介することはできない。

■4月2日(火)メモ■

  1. 展示が終われば、作品をつぶすことを前提にしている。もっとも、存続させるとなると維持管理がたいへんであるが。
  2. 現代アートのうち、多くがその場所に恒久設置される(することができる)かもしれないが、<無に帰す>ことの意味をどう考えるべきか。
  3. 芸術作品を時間的価値との関係で考えることができる。現代アートは時間を経ると古典アートあるいは伝統的芸術と位置付けられるか。また、屋内を前提とした芸術、屋外を想定したアートという場所的相違をどのように考えるか。これはアート作品の趣旨、目的に依るか。例えば絵画・彫刻・襖絵(屋内)、意匠建築・シンボルタワー(屋外)の場合はおおむね理解できそうである。
  4. 一般に、これまでの芸術作品は、美術館や博物館などに保管展示されることを前提にしてきた。しかし、庭園や公園などでオブジェ作品が常態として鑑賞できるようになった。さらに、山本基作品のように、一期一会のアートというジャンルが出現した。ついに混迷する芸術史の時代を迎えたのであろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報350号(2013年9月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その6 直島~

(2)本村地区で気掛かりなことをひとつ。

本村地区は住居が密集しており、路地が迷路となっている。案内ボランティアに「地元の方の姿が見えませんが…」と問いかけると、「芸術祭の期間中はとくに、家の外には出てこないんです」という。島外からの芸術客が右往左往しながら作品鑑賞するうえに、車の往来が激しくなって危険を感じているという。

もうひとつ。作品を探しながら路地をあちこちするので、自然と普通の民家の玄関、庭先を問わず「鑑賞」することになる。他人が日常生活の様子を覗きこむことが当然の如くとなる。そうあってか、本村地区のどの民家も、外から見える範囲は手入れが行き届いていることに気がついた。玄関先におしゃれな暖簾(のれん)が掛けてあるのは、ベネッセの家プロジェクトの一環だそうだ。

(3)本村地区から宮浦港まで歩いた。およそ30分、直島の空気を感じることができた。

先を歩くお年寄りが、遊んでいる2 人の子どもに声をかけている。直島はみんなが知り合いなのである。本村地区の家プロジェクトで感じたような、緊張した空気は全くない。沿道では数人の年輩者が和気あいあいとおしゃべりをし、道路の向こう側を歩く人と声を掛け合っている。これが日常の直島である。現代アートについておしゃべりしているとは思えない。

■3 月 30 日(土)メモ■

  1. 本村地区の家プロジェクトは、新進気鋭のアーティストの制作の場と作品発表の場を提供している点では評価できる。
  2. あちらこちらにカフェや食事処を配置し、記念グッズなども販売している。日常生活品を扱う商店はない。
  3. 家プロジェクト鑑賞では、写真撮影、作品に触れることも禁止である。恒久作品としての著作権が関係するものだろう。ただし、家プロジェクトではないが、宮浦岩壁に草間弥生の「赤かぼちゃ」がある。これは自由に触れて遊べる作品である。
  4. 家プロジェクトの現代アートには、作者の意図が不可解なものが多い。作品から迫ってくるものがない(共感、感動)。また、地域の日常に溶け込んでいるかといえば、そうでもない。現代アートと地域政策はマッチするのだろうか。

(つづく)

田村彰紀/月報349号(2013年8月号)

瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その5 直島~

 

6.直島

 

土曜日の直島行きフェリーは船客でいっぱい。久し振りの1時間の船旅は非日常を感じさせる。

(1)本村地区のメインは「家プロジェクト」だ。まずは、最近完成して人気のある作品003(ANDO MUSEUM 安藤忠雄)に向かう。この地区は狭い路地が迷路のように走っていて、角々に立っている案内ボランティアのガイドは的確である。

古い民家の内部に、安藤らしくコンクリートを斜めに組み込んでいる。外光を巧みに計算して、角度をつけたコンクリートに反射させている。したがって民家の内部は明るい。聞くと、民家の庭をなくして斜体のコンクリートを設置したとのことだが、元が民家だけに屋内のコンクリート壁には違和感がある。

民家を支えている梁(木材)とコンクリート壁のコントラストが面白い点であろうか。もちろん居住は不可能で、意匠建築の粋を追究した作品なのであろう。また、地下ホールを新たにつくっている。これも何を主張しているのか分からないが、玄関先にあるガラスの三角錐から光を取り入れる工夫がされている。パリのルーブル美術館にあるガラスのピラミッドにヒントを得たものか。

次に、「角屋」、「護王神社」、「南寺」、「はいしゃ(歯医者)」、「碁会所」と迷路に点在する作品を廻った。

護王神社の境内に並んでいる寄付石を何気なく見ていると、「社殿一式 福武総一郎」とあった。神社の社殿そのものを作品とする方法としては、最善の知恵と手段なのかもしれない。「社殿一式」寄付とすることで、自由な作品に強引転化したものだろう。芸術は神をも越えてしまうのである。

「角屋」は民家の座敷部分にプールを作って、電飾が浮いている様を展示している。もちろん足を踏み入れると真っ暗である。目が慣れてくるとプールに色彩のある造形が浮かび上がってくる。

「南寺」はこちらも内部が真っ暗な闇の世界。安藤設計の建築家屋に入ると、正面にぼんやりとスクリーンのようなものが感じられる。ぼんやりしたスクリーンに何が現れるという訳でもない。結局、何を主張しているのか、それがどうしたといった作品である。闇の中の白っぽいスクリーンが作品らしい。どの鑑賞者も感想を述べ合うという雰囲気ではない。

「碁会所」は4畳半の座敷に木彫りのツバキを散らしているだけだ。案内ボランティアに聞くと、ここに碁会所らしき建物があった訳ではないらしい。「はいしゃ」は、かつての歯医者住宅を活用して、いたるところにペイント、造形物を配置したものだ。現代アートとしてよく見る作品である。

(つづく)

田村彰紀/月報349号(2013年8月号)