瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その23 犬島~

(1)岡山沖の犬島

犬島は平べったい島です。岡山市に属し、「犬島諸島」唯一の有人島である犬島本島が瀬戸芸祭の会場です。犬島本島、沖鼓島、犬ノ島、地竹ノ子島、沖竹ノ子島、白石島、鳩島からなる全域が犬島諸島を構成しています。犬島本島は、1909年に犬島製錬所が開設され、最盛期には5,000人から6,000人あまりの人が生活をしていました。現在の人口は約50人とのことです。古くは岡山城、大坂城の石垣として、良質な石の生産地でもありました。その後も、いわゆる採石が産業の中心になっていたようです。犬島のシンボルである高い数本の煙突は犬島製錬所のなごり、島内に点在する「池」はかつての採石を地下に掘り進めた跡です。

(2)犬島の由来と製錬所

元文4年(1739年)に完成した江戸時代の史料『備陽国誌』に、「犬岩とて大なる石あり、犬がうづくまりたるに似たりこれによって名を得しにや」とあります。古代の犬島諸島には9島からなっていたようですが、現在は7島から構成されています。平安時代の諸史料には、海賊の跋扈する島であったと記録されていました。

生業は半農半漁で、享保年間には在番所(勤番所)が独立設置されて、海の番所として重視されていました。元禄年間の検地帳では、山野50町余、田地・宅地は14町5反余という記録も見えます。

犬がうづくまったように見える岩(高さ3.6m、周囲15mほどの大岩)は、犬島本島の東の犬ノ島山頂にあります。犬石明神という天満宮に祭られているようで、「犬石様」と呼ばれて親しまれています。とりわけ、島からは良質の花崗岩(犬島みかげ)の産出で知られ、全国各地に運ばれていました。

犬島製錬所についてネット検索では、次のように書かれています。

1909年、代議士であった坂本金弥によって岡山県宝伝沖2.5㎞にある周囲4㎞の犬島に開設される。1913年、藤田合資会社が瀬戸内の中央買鉱精錬所をめざし買収。その後、島の人口は3000人を超え、増産体制を確立、最盛期を迎える。三菱、古河、久原など12の精錬所が鉱石の争奪戦を展開。1924年3月、島内に自山鉱、電錬所を持たなかったことが災いし、操業断念。12月に住友鉱山が420,000円で買収。直後に銅価格が暴落。1925年、再建のめどが立たず、廃鉱に。

2008年に開館した犬島製錬所美術館も瀬戸芸祭の中心的会場のひとつですが、現在では財団法人「直島福武美術館財団」の私有地となっており、普段は立ち入ることができません。瀬戸芸祭パスポートの提示によって、会期中は美術館を鑑賞できますが、いわゆる明治の製錬所の風景は残された煙突とレンガ建造物だけです。つまり、愛媛県今治市の別子銅山のように、銅山経営や働いていた人びとたちの生活をうかがわせるものは何もありません。直島福武美術館財団は、ここ犬島に「桃源郷」をテーマとするアート作品群を配置しています。

次回では作品鑑賞です。

(つづく)

田村彰紀/月報364号(2014年11月号)