(2)作品鑑賞(つづき)
作品118「高見島へのオマージュ」は、瀬戸内を見下ろす高台にあって、城郭の石垣を思わせる土台を持つ中塚邸にインスタレーションがあります。島内ボランティアガイドの方にお聞きしたところ、中塚家は明治の頃に当主がアメリカ・シアトルに夢を馳せ、農場経営で財を成したようです。屋根の上には、西側に松竹梅をあしらった鬼瓦があり、東側には天女が舞う鬼瓦で、どっしりとした威厳ある建屋に驚きました。敷居をまたいで、狭く急な2階への階段を上ると、旧家らしい調度品が並んでいました。それ以上に関心を抱いたのは、乱雑に置かれた古本です。『新經濟學全集』『社會學』『戰争經濟の理論』『經濟學説史研究』が箱入りで並べられていました。それ以上に驚いたのは、アダム・スミスの『論富國』(岩波文庫、山内兵衛訳)があったことです。奥付けをみなかったのですが、書名が右からでしたので希少本であることは間違いないでしょう。中塚家は高見島でも相当の知識人であり、経営者であったようです。
瀬戸芸祭での島めぐりの楽しみは、むしろ島の歴史に触れることでしょう。高見島を有名にしたのは、除虫菊栽培の島であったことです。ふたたびボランティアガイドによると、昭和32年頃までに高見島全山で白い花が見事だったというお話でした。ネット検索では次のように紹介されています。原産国は地中海・中央アジアといわれ、セルビア共和国(旧ユーゴスラビア)で発見されました。この花は古くから殺虫効果があることが知られており、現在もケニアをはじめ世界各地で殺虫剤の原料として栽培されています。殺虫成分ピレトリンは花の子房に多く含まれています。日本では弊社の創業者である和歌山県出身の上山英一郎(うえやまえいいちろう)が明治19年(1886)にアメリカのH.E.アモア氏から除虫菊の種子を贈られ、渦巻型の蚊取り線香を発明しました。上山英一郎は和歌山県や広島県・香川県を中心とした瀬戸内地方、北海道など日本の各地で除虫菊の栽培を奨励しました。
第二次世界大戦前は盛んに生産され、日本から世界中に輸出されて産業振興に貢献しました。しかし第二次大戦後はピレトリン類似化合物のピレスロイドが殺虫成分の主流となり産業としての除虫菊の栽培は現在では終了しています。(KINCHOホームページから)作品124「板持廃村再生プロジェクト」(板持廃村再生プロジェクト実行部隊)は、高見港からおよそ1.5㎞離れた板持地区にあります。板持地区は、かつて集落が形成されていましたが数年前に廃村となったところです。
フェリー時刻まで十分な余裕があるので、レンタサイクルで向かいました。瀬戸芸祭ガイドブックによると、「数年前に人口ゼロとなった板持集落跡を覆う雑草や竹林を除去し、廃村の姿を提示する」とあります。放置された数年間を想像すると、雑草や竹林の除去にたいへんな作業であったと分かります。しかし、廃屋と廃道をいまに顕わにすることが再生とはいえないのではないでしょうか。現代アート的な作品が他にあるものと探してみたのですが、廃屋を廃屋として見える化しただけのものでした。
(つづく)
田村彰紀/月報363号(2014年10月号)