瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その19 本島~

本島は塩飽水軍の本拠地で、幕末には塩飽全島を統率していた塩飽勤番所があることで歴史的価値が認められています。瀬戸内海の要衝の地を占め、「秀吉以来、自治権を安堵(あんど)されていた人名(にんみょう)制度の中心島で、人名から選出された4人の年寄によって政治が行われ、江戸時代は天領として明治維新まで人名の自治が続いた」とのネット説明があります。

(1)本島・牛島

本島の人口は平成25年10月時点で446人です。平成20年10月には627人でしたから5年間で181人の減少が見られます。丸亀港から本島への渡船は「牛島」を経由します。牛島は人口わずか12人です。牛島の存在は、今回の芸術祭を機会に知ることになりました。渡船が寄港するといっても、専用の岸壁はなくその方法は舳先(へさき)をコンクリート堤防の階段設備に着岸させるものです。本島港は塩飽諸島の中心島だけに立派な埠頭が整っています。待合所を覗いたりしていると、「児島行きに乗船の方にお知らせします」のアナウンスがありました。瀬戸芸祭の期間だけのようですが、岡山・児島港への船便も確保していました。

(2)作品鑑賞

作品105「Vertrek「出航」」は、本島港に設置されている咸臨丸渡米150周年記念「顕彰碑」と並ぶように設置されています。幕末の万延元(1860)年、日米修好条約批准のため独力で太平洋を横断し渡米した咸臨丸の水夫・火夫の大半は塩飽出身者が占めていました。作者はこの点に共感を覚えて、この場所に作品を制作したようです。

作者の石井章さんと立ち話をすることができました。この「出航」作品はこのまま常設展示するようです。管理やメンテナンスについて、「いつでも修復などに来ますよ」、「いま香川県に在住していますから…」と心強いお話でした。さらに、時間を経るにつれて、この鉄骨オブジェの色彩などの変化が楽しみだといいます。

また、伝統的な芸術作品といわれる作者は、誰かに師事することが常ですが、現代アートはどうかと質問をぶつけました。これまでの伝統的芸術には、例えば絵画、彫刻、陶芸など師事するという場合が多いです。現代アートでは、たしかに師事するという明確な常態は少ないかもしれませんが、かといって全く師事していないとはいえないのではないかとの返答でした。

作品110「つなぐ」は、奇妙な作品でした。廃寺となっているらしい惣光寺の境内をまるまる使っての作品でした。山門から本堂までアーチ形の木橋が架けられていますが、お寺という場所に違和感があります。そのうえ、境内のあちこちに赤い大小のバルーンが散らばっています。なぜ赤いバルーンなのかは理解できません。ただ、興味深かったのは、寺の鐘楼に梵鐘の代わりに吊るされているひときわ大きな赤いバルーンです。この発想には感動しました。

(つづく)

田村彰紀/月報360号(2014年7月号)