瀬戸内国際芸術祭2013と地域政策に関する試論~その9 閑話休題~

これまでの4回の連載では、瀬戸芸祭・春期の現代アートを歩いてきました。3月20日から4月21日までの33日間の鑑賞者(来場者数)は、26万3千人で、3年前に比べて1.3倍を記録したそうです。

もっとも、沙弥島のように春期のみの開催だったことも増加の一因でしょう。沙弥島ではおよそ7万7千人の来場があり、同時期の直島6万3千人を上回っています。

2013瀬戸内国際芸術祭春会期来場者数
四国新聞2013年4月23日Webサイト記事から

今回は、閑話休題として小村智宏・おむらともひろ氏(三井物産戦略研究所経済調査室長、2011年7月)の経済と芸術に関する見解を素材にしたいと思います。情報を収集していると、便利なインターネットで検索発見したものです。熟考しながら読み解いていこうと思います。

(1)小村氏は、「人々が豊かになり、多くの商品やサービスの市場が飽和した現代では、単に機能が優れているとか値段が安いというだけでは、消費者を引き付けることは難しい。そうした時代の経済においては、それぞれの国や地域、民族が保持している文化が大きな意味を持つことになる」との基本的な認識に立っています。

なんとなく賛同できるのですが、まず第1に、はたして私たちの回りでは商品は豊富でサービス市場も申し分ないのですが、「人々が豊か」であるかどうかは詳細な指標で裏付ける必要があると思われます。

例えば、若者の年収、安定した職場環境があるかどうか、さらに高齢者の年金事情も決してゆとりある「豊かな生活」とはいい難いでしょう。先日、県立ミュージアムの「丹下健三展」(9月23日まで)を鑑賞しましたが、入場料は1000円でした。展示のキャプションも少なく、写真展示が多いように思いました。つまり、流れに沿って写真掲示を追っていったという具合です。誰もが芸術や文化に触れることができるようにすれば、「豊かな」文化への感動と関心が沸くでしょう。とはいえ、小村氏のいうこれからの経済には文化が大きな意味を持つことはその通りです。

(2)小村氏は、職業柄、経済の発展と芸術の産業化について述べています。「文化」とは、「それぞれの社会で共有される行動様式や思考様式、あるいは精神活動の総体といった意味合い」であると述べていますが、これもその通りです。日本人と外国人とでは行動様式や考え方に違いがあります。これらの相違をお互いの尊重してこそ、真のグローバル社会が形成されると思います。グローバルスタンダードでなければならない訳ではないと思います。

そして「文化」は、いわゆる芸術文化と生活文化に分けられるといいます。簡単にいうと、前者は卓越した創作のことで、後者は日常生活上の民芸運動にみられるものなどと考えることができます。なお、前者には伝統的芸術といまはやりの現代アートに区分できますが、この点は「瀬戸芸祭試論」でおいおい考えていきます。

(3)さて、小村氏は「経済が未発達で、人々の暮らしが豊かではなかった時代には、芸術や思想と生活文化とは、濃厚な交わりを持ってはいなかった。芸術家や思想家の活動は、多くの場合、一握りの豊かな人々の後援の下で行われ、その成果を享受するのも、そうした特権的な人々に限られていた」といいます。

いわゆるパトロンの下での芸術作品でした。しかし、経済が発展してくると、「芸術と生活文化は、経済の枠組みを通じて、きわめて密接な関係を築いていく。かつては一握りの特権的な人々に占有されていた芸術活動の成果を、時間的にも経済的にも余裕を持てるようになった多くの人々が、お金を出して享受するようになってきた」として、「音楽や演劇の公演、出版物や音楽レコードへと広がっていった。経済の発展の結果、芸術は、一種の産業として経済の枠組みに組み込まれていったのである」との見解です。

つとに指摘されているように、経済がまず先にあって文化の花が咲くの思考ですが、はたしてそうでしょうか。消費者ニーズの変化、生活環境の変化に応じて、経済が対応せざるを得ないと理解すること、つまり生活文化が経済の態様を牽引することもあるのではないでしょうか。

(4)芸術文化と経済の関わりを見てみましょう。確かに、生活が豊かになるにつれて、「芸術産業の市場は拡大を続けてきた」(小村氏)といえます。

ただ、現代にあっても経済的な評価を求めずに作品制作を続ける芸術家(美の追求)もたくさん存在すると思います。当然、経済的評価を目的とする作家も目立つようになってきました。小村氏は、「人々の嗜好や価値観とはまったく関係なく生み出される芸術作品もある」としつつ、「芸術活動の多くの部分が、社会を構成する一般の人々との関係のなかで行われているともいっています。芸術的価値が認められて、多くの人びとが容易に作品にアクセスできるかどうかが、文化の発展を左右しているのではないでしょうか。

今回の瀬戸芸祭は、瀬戸内海という素晴らしいロケーションと適当な費用負担があればこそ、多くの来場者に歓迎されているものです。これが作品ごとに鑑賞料1000円ともなれば、現代アートへのアクセスを阻害することになるでしょう。価値ある芸術作品の制作と手軽に観賞できる環境が整えば、芸術文化と経済のより良い関係が構築できると思います。いわゆる「文化の消費者」が国民的な広がりをみせ、より卓越した創造作品が生活の中に浸み込んでいくでしょう。

(5)やや視点は異なるが、小村氏の表現を借りれば、「どういう芸術が成功を収めているかは、人々がどういう食事をしているか、どういう服を着ているか、どういう家に住んでいるか」などの「その社会の文化の表れ」に反映されていると指摘しています。また、「経済が成熟し、市場が飽和に近づいたことで、商品のコンセプトやデザイン、さらには広告の手法やキャッチコピーといった要素が重要になってきた。それらが社会の文化を背景とした人々の嗜好や価値観にどの程度適合しているかで、商品の売れ行きは大きく違ってくる」ともいいます。

そして、「成熟期の経済においては、あらゆる商品、あらゆる経済活動が、芸術と文化の影響下に入るということだ」として、芸術文化が経済を牽引する流れを意識していると思われます。

(6)小村氏は、文化と国際競争力についても発言しています。「商品が文化の影響下にあるということは、映画がそうであるように、それぞれの商品が設計された国や製造された国の文化を体現するということでもある。アメリカ製品にはアメリカらしさ、フランス製品にはフランスらしさ、もちろん日本製品には日本らしさを感じ取れるものだ」といいます。

最近、日本のアニメーションの卓越さを世界に示した宮崎駿監督の引退報道がありました。『となりのトトロ』(1988年)、『魔女の宅急便』(1989年)、『紅の豚』(1992年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『崖の上のポニョ』(2008年)、そして『風立ちぬ』(2013年)と、いわゆる<銀幕の革命>を起してきたといっていいでしょう。日本の文化の力を世界が認めたものです。

小村氏は、「さまざまな商品が国境を超えて市場を奪い合う現代の経済においては、商品の背景にある各国の文化の力が大きくものを言う」と結論づけます。「それぞれの国の文化が、企業のブランド力と競争力の重要なファクターになっている」としていますが、宮崎駿の世界はグローバルに展開する企業のブランド力とか競争力というよりは、引退会見で披露した「ぼくは自由です。といって、日常の生活は少しも変わらず、毎日同じ道をかようでしょう」に象徴されています。アニメーション創作の自由が、幸いなことに日本にあったからだと思います。

(7)最後に、小村氏は「文化と経済というと、一方は上品で高尚、他方はギラギラとして生臭いといった対照的なイメージの、かけ離れた存在であった。しかし、経済が成熟化した現在では、文化と経済は、さまざまな次元で影響を与え合う、切り離せない存在となっている」と結んでいることは重要です。経済が成熟しているかどうかは研究課題でしょうが、芸術文化を離れた経済はありえないと思います。

次号では、ふたたび瀬戸芸祭の話しをしたいと思います。

(つづく)

田村彰紀/月報351号(2013年10月号)