瀬戸内国際芸術祭2013・春会期が、3月20日から4月21日まで開催されました。
3年前の第1回瀬戸芸祭には、93万人が真夏の現代アートを楽しみましたが、たいへんな混雑だったようで、第2回瀬戸芸祭は春・夏・秋に分散しての開催となりました。
今回、春会期の瀬戸芸祭を覗いてきましたので、地域政策および文化政策の観点から「瀬戸芸祭日記」を開陳しておきましょう。 日記風ですので、お楽しみください。
1.はじめに
芸術とは何か、文化とは何かなどは、はるかな先人たちが追究してきた。
いまだにその定義や意義について、諸説紛々たる議論がなされていることはなぜだろう。もしかして、それを追究することは人間社会の発展を推し進める力を発見することかもしれない。
先人たちの研究蓄積の上に立って、瀬戸内トリエンナーレとは何かを追い求めていきたい。
もっとも、フリーハンド鑑賞と体験という訳ではなく、しっかりした理念のもとに調査研究をすることになろう。その理念とは、文化政策学あるいは文化経済学に求めることになる。あわよくば、『瀬戸内国際芸術祭を歩く~その文化的価値を探る』などとしてまとめることができればと考えている。
2.小豆島(土庄)
快晴である。
とりあえずは人気のある直島に向かおうと思ったが、あいにくフェリー時刻まで1 時間の待ちであったので、待ち時間5 分の小豆島行のフェリー(11:35 発)に飛び乗った。
瀬戸芸祭が目的であろう人は数名で、船客は少ない。長ソファや窓際ボックス席に船客ひとりといった具合である。
1 時間の船旅を満喫して、土庄港に到着する。
すぐさま目に入るのは、「太陽の贈り物」(作品058)と題する大きな円形のオブジェだ。オリーブの葉を重ね合わせて荊冠風に金色で仕上げている。オリーブ葉の一枚一枚をよく見ると、美しい瀬戸内海を讃え、保全していこうなどメッセージが一つの輪を造形している。
これが小豆島で第一番目に出会う作品だ。瀬戸芸祭のコンセプトにぴったりである。
瀬戸芸祭のインフォーメーションで、作品の場所と効率的な鑑賞手段のアドバイスを受ける。
来島者が少ないからなのか、案内ボランティアの意気込みなのか、実にていねいな応対である。案内リーフレットで場所を教えてもらい、移動手段は島バスにしたいと申し出たので、その時刻と作品場所を順序良く説明していただいた。
そのルートは、肥土山~池田港~三都半島である。その前に、「今日はお泊りですか」と問われたが、「お泊りでなかったら作品を絞りましょう」であった。
小豆島の作品エリアは、「11 エリア」から「16 エリア」の6 か所もある。これらのエリアが春・夏・秋に分散されて鑑賞するという仕掛けになっている。前回の90 万人の混雑を踏まえた改善方法のひとつだろう。
結局、今回は「11 エリア(太陽の贈り物)」と「13 エリア」を島バスで回ることになった(1 日乗車券1500 円)。三都半島まで足を延ばすと夕闇となる。
二十四の瞳バス停で乗車して、常盤橋で下車する。通常のバス路線の他に、芸術線バスが配車されて便数は増えているが、少なくとも30 分の待ち時間は覚悟しなければならない。
常盤橋で降りて、作品060(うみのうつわ)~作品061(猪鹿垣の島)~作品063(小豆島の光)と歩いて鑑賞する。
ここでも案内ボランティアが丁寧に作品場所を説明してくれる。ここ肥土山地区は、農村歌舞伎舞台が歴史的伝統的文化財として有名である。作品場所を探しながらも、ついつい農村歌舞伎舞台をうろうろすることになる。
バスの時刻を気にしては文化の消費者にはなれないことを知る。肥土山舞台の次に、中山農村歌舞伎舞台も見学する。中山千枚田が馬蹄状に迫ってくる底地に、歌舞伎舞台があった。どちらも地域の伝統を受け継いで現役で歌舞伎の行事が開催されている。
■3 月21 日メモ■
- 文化経済学の観点から作品と芸術祭をどう評価するか。現代アートにも適用できるか。
- 文化的価値
- 経済的価値
- 地域の固有価値との関係
- 現代アートの産業化は可能か。地域人との共同作業だが、これをどう見るか。
- 現代アートは一時的な印象的文化であるか。多くが撤去されることになる。
- 小豆島の地域性を作品過程で取り込んでいるものもある。
(つづく)
田村彰紀/月報347号(2013年6月号)